海外ドラマ『ヴァイキング ~海の覇者たち~』を見ていた時のことです。
GPSもコンパスもない時代。
屈強な男たちが、伝説上の土地「西の地(イングランド)」を目指して、当てのない海へと漕ぎ出します。
彼らが頼りにしたのは「太陽石」と呼ばれる航海具と、そして「鳥」でした。
物語の序盤、ラグナルの兄であるロロが、檻から2羽のカラスを放つシーンがあります。
高く飛び上がらせ、遠くの陸地を探させるためです。
しかし、ここで予想外のことが起きます。
カラスたちは空高く舞い上がるかと思いきや、海面スレスレの低空を這うように飛び、霧の中へと消えていったのです。
「あれ?上から探さないの?」見ていた私もそう思いました。
その後、画面は一度暗転し、時間が経過したことが示唆されます。
しかし、結果は非情でした。
霧の中からカラスたちが戻ってきて、船に降り立ったのです。
船乗りたちは落胆します。
「カラスが戻ってきた=近くに陸地はない」という判定を下したからです。
私も最初はそう思いました。
「ああ、まだ陸は遠いんだな」と。
しかし直後、画面から聞こえてきた「ある音」を聞いて、私は思わず巻き戻しボタンを押しました。
そこには、脚本家の恐ろしいまでのこだわりと、生物学的なリアリティが隠されていたからです。

カモメの声が突きつけた矛盾
カラスが戻ってきた直後、船乗りたちは歓喜の声を上げます。
霧の向こうから、海鳥(カモメ)の鳴き声が聞こえてきたからです。
カモメがいるということは、陸地はすぐそこにあるということです。
彼らの航海は間違っていなかったのです。
ドラマとしては「よかった、陸があった!」で済むシーンかもしれません。
ですが、私はここで強烈な違和感を覚えました。
「陸がすぐそこにあるなら、なぜカラスは戻ってきたのだろう?」視力が良く、知能も高いカラスが、すぐ近くの陸地を見落とすはずがありません。
それなのに、なぜカラスは「探索失敗」の判定を出して帰還したのでしょうか?
無能だったのでしょうか?
いえ、違います。
私はもう一度、彼らが飛んでいった「海面付近」を脳内で再生しました。

カラスが見ていたのは海ではなく霧
答えは、彼らの「飛び方」にありました。
カラスたちが上空へ上がらず、海面スレスレを飛んだ理由。
それは海上一帯に立ち込める「濃い霧」のせいです。
有視界飛行ができない状況で高高度へ上がるのは、方向感覚を失う(空間識失調になる)自殺行為です。
だから彼らは、唯一視認できる海面を頼りに飛ぶしかなかった。
つまり、カラスは「陸地がない」から戻ってきたのではありません。
「視界が悪すぎて探索プロセスを続行できない」と判断し、タイムアウトで安全な船に戻る処理を実行したのです。
あの一瞬、カラスが行ったのは「探索」ではなく、「生存のための状況判断」だったのです。
無能なのはカラスか、人間か
このシーンの対比はあまりに皮肉が効いています。
カラス
「霧」というバッドコンディションを検知。
低空飛行で粘ったが、リスク限界を迎えて帰還した(高度なエラーハンドリング)
人間
帰ってきた事実だけを見て「役に立たない」と嘆き、カモメの声(わかりやすい結果)を聞いて初めて喜んだ(結果論)
「戻ってきた」という行為こそが、彼らが優秀なレーダーであり、システムが正常に稼働していたことの証明だったのです。
筆者
最初、カラスが低空飛行をしていく描写を見て「うわぁ…間違えてるよ。空高く飛ばなきゃ見えないじゃん」と制作陣が抜けているのではないかと疑いました。
しかし、よく考えれば「霧の中で高く飛ぶ=死」だったと気づいた時は震えました。
そして、私の想定していた以上にリアルな描写を与えられたドラマの存在を自慢したくなりました。

素材の味を噛み締める
派手な戦闘や政治劇も『ヴァイキング』の魅力ですが、私が真に心を奪われたのは、こういう静かなワンシーンです。
「カラスを飛ばす」→「戻ってくる」→「残念」 普通のドラマならこれだけで終わるシーンに、「霧」という物理的な条件を一枚噛ませることで、生物学的なリアリティを持たせる。
こういう細部にこそ、作品の「品格」は宿るのだと思います。
やはり、素材の味をじっくり味わうドラマ鑑賞はやめられません。


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